たまに考える人のメモ書き

ふと考えたことを綴る、特に何の意味もない書き溜め。

主義みたいなもの。

2014-8-29
最近、気づいたというか。前々から自分の中でクセみたいにあったものを、ああ、自分ってこうゆう風に考えているんだ、って気づいたというか認識したことがあって。

 

他人の考えなんて自分じゃ変えられないよね、ってある意味諦めのような考えとか。
本人が悩んで出した答えならどういう結果になっても尊重されるべきだよねとか。

 

文字にすると、なんかドライな感じだな。でも、そんな感じじゃなくて、どっちかっていうと、見守っているような。自分の中ではそんな感じなんだよな。

なんでそんな考えを持っているんだろうかとちょっと今から考えてみる。

 

自分は、何事も自分で決めるのが好きだ。それは前から気づいていた。
それを、他人にも当てはめているのかもしれない。「きっとあいつもじぶんできめたがるだろう」と。
まあ、実際にはそんなことないのかもしれないけれども。
自分の考えを邪魔されたくないんだよね。自分が決めた覚悟を邪魔されたくないわけ。
メリットもデメリットもあるのは知ってるけど、やると決めた・やらないと決めた、そのことに対して他人に口出ししてほしくないんだよね。

うん、あなたが悲しむだろうことも、文句を言うだろうことも、知ってる。
それを聞いて、自分が悲しい気持ちになることも、嫌な気持ちになることも、知ってる。

だけど、それを承知で「自分はこれを選んだんだ」ということを尊重してほしい。
ってことなのかな?

 

ああ、なんか自分が親とか友達とかから頑固だなって言われているのもわかる気がする。(笑)

 

でも、ほんとのところ、みんなはどうなんだろう。今まではそんなに気にしてなかったけど、やっぱり自分と意見が違う人も、いるよね。
「自分で決めるよりは、(自分より詳しそうな)誰かに決めてもらいたい」とか
「自分で決めるより、みんなが喜ぶ方法を選びたい」とかっていうひともきっといるのだろう。(自分にはその気持ちはわかってあげられないだろうけど)

でも、僕は思うんだ。
それでも、「誰かに決めてもらう」ことだったり、「みんなが喜びそうなものを選ぶ」こと自体は、自分で決めたんじゃないの?ってさ。

結局、決めたことの結果は自分自身にめぐってくる。自分自身に帰ってくる。


だけどさ、おれさ、こんなこと書いてるけどさ、自分で決めろって書いてるけどさ、コンサルタントになるんだよね(笑)
クライアントが彼ら自身で決めることを尊重しながら、最善の方法、方向を指し示す最高のコンサルタントになる。なりたい。ならなきゃなー。

彼らが「俺に頼る」って決めるように、頑張らなきゃね。

日々の生活に埋もれてしまわないようにしなきゃな。この志を。
俺は「助けたい人を助けることができる人間になる」って決めたんだから。

あらためて、いいもんだな。と。

やはり本気ってのは、素晴らしい。

 

先日、部活を引退した。いや、正確に言えば、既に去年の今頃現役としては引退したはずだった。しかし、今年はメンバーが事故ったり、休部したりして人が足らず、引退したはずの僕にその埋め合わせが回ってきた。

 

結論。最後のインカレ、出てよかった。

やっぱり本気で勝負しに行く、ということの楽しさってやってみなきゃわからんよな、と。

もちろん、大学院に進学する人もいるので4年生まで部活を継続していた同期もいた。けれど僕は学部卒で就職するので就活に差し障るといけないからと引退を決意した。まあ、部活自体がしんどいという理由も少なからずあったわけだけど。

でも本当に今回の大会は同期がみな格好良くて、結果もそれぞれ残していて、応援していて嬉しいんだけど同時に悔しかった。なんで俺は去年そのまま部活を続けなかったんだろうって。

自分より一年間頑張ってきた同期はホント格好良かった。僕も大会には出場したわけだけど、やはりやってきた努力の量とか懸ける想いは段違いだ。しかしそれでも、後輩に引っ張り出される形でも、そこに参加できて、2か月だけだけど頑張れて本気で試合戦って、その結果楽しくやれたってことがとてつもなくうれしかった。

もっとうまくなりたい。って純粋に感じた。

なんか、勝負うんぬんよりも、自分が納得する漕ぎをしたいという風に感じた。

去年は確か、専属でついてくれてたマネージャーに申し訳ないという気持ちでいっぱいだったという想いでがある。

どちらがいいとかいう話ではないのだろう。

どちらも大事な自分の気持ちだ。

ただただ、「よかったな」と心の底から感じた。

まとまりのない文章になってしまったけど。まあいいや。

現状確認。

ここ最近、twitterで、気になる言葉がいくつか。

 

 https://twitter.com/ttakimoto/status/330877996489637888

このツイート自体はずいぶん古いものだけど、たまたま見かけたので、身に染みるなあ。。と思いながらお気に入り登録した。

そして、まったくもってこのツイートの趣旨とは違うのだけれど、「時間をかけるべきではない友達」というのが存在するのか?という問題が自分の中に浮かび上がってきたので少々考えをめぐらせてみた。

 

結論。自分は相当友人に恵まれている。もしくは、相当お気楽なポジティブシンカーであるということ。

まずは、友達と聞いて思い出す人たちのことを考えてみた。あとから考えてみれば当然なのかもしれないと思ったけど、最初に思いつくような人たちってやっぱり普段からよく一緒に過ごす好きな人たちを思いつくよね。

だから、こいつらとはもっと多くの時間を過ごしたいと思っている。部活の同期、学科の友達、そんなやつらとはもっともっと遊びたいし、濃い時間を過ごしたい。

 

そして思い至ったのは、瀧本さんの言う悪友って、自分は友達とすら考えていない、「顔見知り」レベルの話なんじゃないかなと思った。

 

それなら、最初に自分が「時間をかけるべきでない友達なんて存在するのか?」という疑問を感じた理由も、一緒にいて個人的にはとても楽しいと感じているしそんな風に感じない人は友達とすら認識していない、ということで納得できる。

 

うん。やっぱり自分はとても恵まれている。でももっと「○○と友達で良かった~」って言ってもらえるような、誇ってもらえるような自分になりたい。よね。

がんばろう。

やはり頭良くなりたいなあという話。

タイトルまんま。

頭良くなりたい。

 

そう思ったのは、ある論文を説明するためのちょっとしたプレゼンを准教授に対して行った時だった。

プレゼンの結果わかったこと。僕自身が論文を読んでわかった気になってまとめて説明したものは、全くの的外れであった、ということ。つらい。。。

 

なんというか、立ってる場所が違うな、と感じた。おんなじ論文を読んでいるはずなのに、准教授はこの論文の背景や新奇性、一般的なレベル感を持って捉えていて、ああこれはまけたわ、、、って思った。おごがましくも。

 

何かを理解する、わかる、ということは、とてつもなく膨大な量の背景に対する知識と洞察力が必要なのだろうな。

そこそこいいのができた、とか浮かれていた自分が嫌になった。そもそもの問題設定が間違っていた。まだ、本当の意味で本質をとらえることの重要性も理解できていないし、その結果イシューを捉えられていない。もっともっと大きくとらえることと、深く理解することを両立させたい。。

 

欲張りなのはわかってる。無茶なのもわかってる。でも、俺はやるんだ。

もがき

また考えている。

リーダーとしてやるべきことは何なのか。何をどう示すのか。そして、示した方向についてきてもらえるだけの自分になれているのか。情熱はあるのか。

 たかが授業である。しかし、それでも手を抜きたくはない。自分が実現したいものを描き、それを現実のものとしていく経験なんてきっとそうそうできるものではないのだろうと思う。

 最近、考えるという行為が怖くなってきた。何も良いアイデアなんて出てこなさそうで。いくら考えても整理できなさそうで。

 

でも、やはりやるしかないのだろう。

思考は現実化する。

 

自分たちが何をいいと感じ、何を理想とするのか。

そしてなぜその理想の姿は現在実現されていないのか。

そこを解きほぐして、全力で改善していくしかないのだろうな。

 

この世界の本質とは。なぜ今の生活があるのか。生活の本質とは何か。仕事とはなんだ。何を目的とするのだ。何があれば満足なのか。何がなくなればこれは、自分は、我々は、成り立たなくなるのか。自分を構成する要素はどれだ。いくつあるのか。連動しているのか。知りたいだけ。価値ある自分になりたいだけ。誰かの力になりたい。

自分からできることは何だろうか

 先輩の厳しい指導を受けながら思う。もっと大きな方向性を示してほしいと。細かな修正点なんていくらでもあるに決まっているのだから。なんたって僕はまだ研究の初心者ですからね。

場面変わって、グループワークで進めていく授業では、リーダーとしてみんなもっと協力してほしいとかおごがましくも感じていた。

 

だけどひょっとしたら、それぞれずれてるんじゃないかなとちょっと違和感を感じた。

そして気づいた。自分が後輩として先輩に求めていたことを、授業で自ら実践すればいいのではないかと気づいた。アホだった。

自分がしてほしかった、大きな方向性を示すという役割をせずして、何がリーダーだ。リーダーとは進むべき道を示すことができる人のはずだ。

では、自分はリーダーとしてなにができるのか。

グループワークの内容は、ライフスタイルの質の向上を果たすために自分たちができることは何か?ということを考えていくというもの。

最初は、各自の欲望から今後こうなっていけばいいよね、というものを細々と提案していったという感じ。しかし、今の時点で現状の案では行き詰まるであろうことが目に見えている。

だから、議論の方向転換をしたいのだけれど、なかなかできずにいる。たまたまグループのリーダー役になったんだが、やれるだけのことはやって頑張っていきたい。

せっかくリーダーになって権力があるのだから、自分である程度議論の方向性を独断で決めてしまってもいいのかなと思う。

話し合いがメインの授業のはずなのだけれど、担当の教授が毎度毎度ノリノリで話しすぎてしまうため、毎回15分程度しか話し合う時間がないのだ。そんななか生産的な議論をし、各自の役割を決めていくなんてできるわけない。

だから、もう少しわがままになろうと思う。

自分である程度調査して、社会的にどういうものが求められているのかを調べたうえでグループメンバーに提示しよう。

そこから先は共同作業だ。

先を見て行動したり、未来図を描くという役割を俺が果たさずして誰がやるというのだ。

自分の記事を読みかえしてみて

なんか、読む価値のないものだなあって思った。

まあ、主に自分で読むために書き始めたんだけども。けどこれじゃ、このままじゃ、自分で読み返すことすらしなくなっていくんじゃないかと思う。

いや、今のままでも確かにいいのかもしれない。下手に気取ってるみたいになるのも僕は好きじゃないから。しかし、自分を満足させれないような奴が、どうして人のためになる仕事ができるだろうか。人に話を聞いてもらえるだろうか。

 

ならば、読んで生産性が上がるようなものを。もっと価値あるものを。

今より改善できる方法を常に目指すべきだ。考えた形跡を記すべきだ。今のままだとただの感情の垂れ流し装置になってしまう。。。この世に存在するデータ量を増大させ、サーバーを重くするだけの代物に成り下がってしまう。。。いや、今この状況自体がそうなのだけれど。。。

 

感情のままに言葉を記していくんじゃなく、これからは気持ちを誰かと共有するために言葉を操ろう。綴ろう。